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野村克也の前夫人・正子が美人!社長令嬢の元妻と離婚した理由が衝撃?息子の陽一も詳しく

元プロ野球選手で、数々のチームで監督を務めた野村克也さん。

そんな野村克也さんの嫁は、サッチーこと野村沙知代さんです。

実は野村克也さんは一度離婚しており、元妻との間に子供もいました。

野村克也さんが前夫人と離婚した理由は何だったのでしょうか?

今回は、野村克也さんの元嫁とその子供について取り上げます。

【画像】野村克也の前夫人・正子が美人

27年間にわたり、プロ野球選手として活躍した野村克也さん。現役時代は「ノムさん」の愛称で親しまれていました。

引退後は数々のチームで監督を務め、その後は野球解説者・野球評論家として活躍したそうです。

野村克也さんの妻と言えば、日本一の恐妻家として名前を轟かせた”野村沙知代さん”の存在が有名ですよね。

おふたりは「おしどり夫婦」と称され、メディアに引っ張りだこだった時期もありますが…。

実は、沙知代さんは2人目の妻。バツイチ同士のおふたりは、大恋愛をして再婚に至ったといいます。

そんな野村克也さんの前妻は「どんな女性だったのか?」「なぜ離婚したのか?」気になっている人も多いようです。

一説には「とても美人」と評判の元妻。詳しく見ていきましょう!

野村克也の前妻と息子陽一の写真

野村克也さんの前夫人の名前は、正子(まさこ)さんです。

野村克也さんと正子さんが結婚したのは1960年のこと。そして、結婚の翌年となる1961年に長男が生まれました。

初めて恵まれた子供は男の子で、名前は陽一(よういち)くんと名付けられたそうです。

こちらの写真は、野村克也さんと正子夫人、長男の陽一くんが写った家族ショット。

野村克也前妻と息子写真引用元:デイリースポーツ

美人で上品な雰囲気の奥さま。

結婚の翌年には子宝にも恵まれ、端からみると順風満帆のように感じてしまいます。

野村克也の元妻は南海電鉄の社長令嬢?

野村克也さんの前妻である正子さんは、南海電気鉄道の社長令嬢との噂がありました。

南海電鉄は、実に130年以上の歴史を誇る大手私鉄で、大阪の難波と和歌山・関西国際空港・高野山などを結ぶ鉄道を経営する会社。

野村さんがプロ野球選手として初めて入団した、南海ホークスの親会社でもありました。

しかし、正子夫人が南海電鉄の社長令嬢というのはガセのようです。

どうやら正子さんの実家は、兵庫県西宮市で『鉄工所』を経営していたと言われています。

南海電鉄の社長令嬢ではないものの、会社を経営する裕福な家庭で育ったみたいですね。

野村さんと正子夫人の出会いはお見合。南海ホークスの元選手で、後にコーチを務めた中原宏さんの紹介でした。

野村克也の前夫人と息子引用元:X

結婚の翌年には、第一子である陽一さんが誕生します。

チームメイトが羨むほど、家庭的で夫想いの正子夫人。理想の夫婦と称されたおふたりの結婚生活を見ていきましょう。

野村克也の妻・正子の評判や結婚生活

野村克也さんの最初の妻である正子夫人の評判は良好でした。

常に食事や体調管理を気遣い、野球選手だった夫を支えていた妻。野村克也さんはインタビューで「奥さんの料理は天下一品や」とべた褒めしていたそうです。

また、当時親しくしていた王貞治さんは、大阪で試合がある時は野村邸を訪ねていたんだとか。

その当時の王さんは野村家の様子について、「ボクも家庭をもつなら、ノムさんみたいな家庭がいいね。」と語っていたといいます。

若い頃の野村克也と王貞治引用元:X

夫が野球だけに専念できるよう、献身的にサポートしてきた正子夫人。野村克也さんは1965年12月に出版された初の自著で

僕が安心してプレーできるというのも、家庭というバックボーンのお蔭である。

妻への感謝を綴っていたそうです。

その言葉を裏付けるように、野村克也さんは野球選手として様々な記録を打ち出しました。

野村克也は正子夫人のサポートで三冠王に!

野村克也さんが結婚した翌年の1961年以降の野球成績を見てみましょう。

  • 6年連続で打点王のタイトル獲得(1962~1967)
  • 8年連続でホームラン王のタイトル獲得(1961~1968)
  • 戦後初の三冠王(打率・打点・ホームラン)を獲得(1965)

凄まじい成績ですよね。

1965年には『三冠王』を獲得した野村克也さん。

打率・打点・ホームランのタイトルを同時に達成するという快挙を成し遂げました。

野村克也南海時代の写真引用元:X

平成で『三冠王』を達成したのは、松中信彦さんだけ。

イチロー、松井秀喜、城島健司、福留孝介などの名選手でさえ『三冠王』には縁がありませんでした。

そのことを思うと、野村克也さんの活躍がいかに凄いことかが分かると思います。

そんな絶頂期の野村克也さんを支えたのは、紛れもなく前妻の正子さんです。安定した私生活が好成績に繋がったのは間違いありません。

正子さんの球界内での評判は『自分は一歩引いて、旦那さんを立てるタイプの人』と称賛されていたとか。

しかし、絶頂期を過ぎた1968年ころから夫婦に亀裂が入りました。

野村克也と前妻の離婚理由が衝撃!

理想の夫婦と称された野村克也さんと正子夫人。

しかし、おふたりは「1968年ころから別居を開始した」と野村克也さんは語っていました。

ご夫妻に、いったい何があったというのでしょう。

次は、野村克也さんと前妻の間に起きた、衝撃の離婚理由に迫っていきます。

野村克也の別居開始・沙知代と出会う

野村克也さんは別居中の1970年8月に、後に二人目の奥さんとなる3歳上の沙知代さんと出会いました。

当時、南海ホークスの選手兼監督だった野村さんは、後楽園球場で開催されたイベントに出るため上京。

都内にある行きつけの中華料理店で、沙知代さんと出会い一緒に食事をしたそうです。

沙知代さんのことを『明るい女性だな』と、好意的に感じた野村さん。程なくして二人の交際がスタートします。

野村克也と再婚妻沙知代引用元:ライブドアNEWS

ただ、この時点では、野村さんは「既婚者」という立場。

別居しているとはいえ正子夫人との婚姻関係は続いており、沙知代さんとの関係はいわゆる『不倫』です。

沙知代さんとの出会いから3年ほど経った1973年、二人の間に克則さんが誕生。

野村克也さんは豊中市にマンションを購入し、沙知代さんと克則さんと暮らし始めます。

克則さんが誕生して以降も、正子さんは離婚を拒んでいたそうで、離婚が成立したのは1978年、別居して実に10年後のことでした。

野村克也の離婚理由は元妻正子?

当初、野村克也さんが前妻と離婚した理由は、野村克也さんの浮気が原因ではないか」というのが大半の世間の声でした。

しかし、当事者である野村さんは「事実は逆」と噂を否定。前夫人との離婚について、このように答えてました。

お嬢様育ちの元妻は家事をまともにやらず、そのうえ浪費癖も酷く、さらには元妻の方が既に他の男と不倫関係にあった

野村克也さんの発言に、野村さんや夫人を長年知る人は大きな衝撃を受けたそうです。

野村さんの話が事実だとすれば、離婚の原因は元妻である正子さんということになりますね。

しかし、野村さんと正子さんの間に生まれた息子・陽一さんは、父親の発言を真っ向から否定しました。

野村克也と息子・陽一の食い違い・矛盾点を詳しく

離婚理由として『元妻の浪費癖や浮気・家事をやらない』ことなど指摘した野村克也さん。

しかし、息子の陽一さんは母の浮気を否定しつつ、次のように反論しています。

母は、大人しく家庭的な人で、料理などの家事もきちんとこなしていました。

さらに陽一さんは、父親が語った別居についても異論を唱えました。

野村克也さんによると、正子さんと別居したのは1968年ころ。その2年後となる1970年に2人目の妻である沙知代さんと出会ったそうです。

つまり、沙知代さんと出会う以前から、正子夫人との夫婦関係は”破綻”していたことになりますね。

しかし、息子の陽一さんは夫婦の不仲についても反論しました。

離婚する数年前に、妻子を残して家を出た野村克也さん。このとき正子夫人は

あの人は有名人だし色々あるけど、最終的には私のところに帰ってくるから

と自分に言い聞かせるようにして、夫の帰りを待ち続けたそうです。

そんなある日、突如として自宅に戻った野村さんは「頼む、離婚してくれ」と玄関で正子夫人に土下座。

大雨の中びしょ濡れになりながら、何度も何度も頭を下げる姿に根負けした正子さんは、離婚に応じたと言うのです。

野村克也さんと正子さんの離婚が成立したのは1978年。野村さんと沙知代さんが出会ってから8年後のことでした。

離婚の理由には『男女間のトラブル』『不倫』といった噂がささやかれていますが、本当のことは当事者しか分かりません。

ただ、これほどまでに時間がかかったのは、本妻の意地だったのかも知れませんね。

野村克也の前妻と息子陽一の現在は

野村克也さんとの離婚後、当時17歳の息子・陽一さんの親権は母である正子さんが持ちました。

そんな前妻の正子さんは、若くして逝去されたそうですが、詳しい死因については明らかにされていません。

母親正子さんの死後、実父である野村克也さんの自宅を訪ねたという陽一さん。

しかし、2番目の妻・沙知代さんに追い返されたと、一部のメディアは報じています。

そんな野村沙知代さんは、2017年12月8日に85歳で死去。

後を追うように、約2年後の2020年2月11日、野村克也さんは84歳で亡くなりました。

実は、野村克也さんは2019年8月に、前妻との子供・陽一さんと会っているようです。

なんとその席には、沙知代さんとの間に授かった克則さんも同行したんだとか。

一回り以上年が離れた異母兄弟と父親は、とても緊張しながら対面したそうです。

陽一さんは現在も生まれ育った関西で暮らしているといいますが、一般人のため職業などの詳しい情報はわかっていません。

その半年後、野村克也さんは永眠しました。家族葬には陽一さんも出席したといいます。

父親や克則さんと会ったことで、陽一さんが長年抱えていたわだかまりも少し解けたのかもしれませんね。

野村克也の元妻は正子【まとめ】

野村克也さんの前妻・正子さんについて紹介しました。

美人で家庭的と評判だった正子夫人。一人息子の陽一さんにも恵まれ、端からみると順風満帆のようでしたが…。

結婚19年目となる1978年に離婚。離婚の理由には『男女間のトラブル』『不倫』といった憶測が飛び交っています。

しかし、当事者である野村克也さんも前妻・正子さんも、さらに再婚妻の野村沙知代さんも既に亡くなっており、今となっては真相は藪の中と言ったところでしょうか。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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